久しぶりの投稿なんで、少し遠慮気味な投稿をします。笑


とはいうものの、インプットvsアウトプット(9/30日目)再開です。



今日からはぶっ通しで書くつもりです。(インプットが溜まりすぎて吐き出さないと脳が爆発してまう思いまして。)





本日は遠慮気味な投稿とゆうことで、


最近の僕が、沢山の偉人の本を読みあさった中から、何か遠慮気味なものを書きたいと思います。笑

偉人の本とは、いうものの、
僕の偉人の判断軸としては、
1.誰が聞いても聞いたことがある有名人
2.誰が聞いても聞いたことある本
3.誰かに関して書かれた本(例えば孫正義の焦燥など)

とゆう風に置いています。




そのような偉人たちは、ある分野で神がかった結果または能力を発揮しているのが当然の共通点です。


また、その領域までいった人たちのモノを読みあさっていて思うことがあります。

『どんな分野でも、神がかればみんな言ってる事が似てるな〜』とゆうことです。



彼らの述べることの共通性を抽象的に一言にまとめると、

彼らは生き物としての勘が備わっているなということです。



とゆうのは、実際に目で見て経験するとゆうことです。


ここで、織田信長の逸話を少し書きます。

信長は、青年期、ある沼に河童がいるという情報を耳にします。
河童とゆうのを知らない信長は『河童とはどんなものだ?』と聞きます。
周りにいた部下は、『河童とは中国の物語に出てくる生物で、、、』と河童に関する多くの情報を話そうとします。
しかし、多くの情報などに耳を傾けることなく、河童がどんなものか知った信長は、早速沼に飛び込みました。


以上が信長の逸話ですが、
誰も頼りにすることはせず、己を信じて行動するのが偉人たちの共通性だと僕は思いました。



また、ガンジーもその1人です。彼は当時のインドとイギリスの貧富の差を実際に目で見て経験した上で、イギリスからの独立運動を開始します。




どうやら、彼ら偉人たちには、どれだけ周りがNOと言おうと、俺はYESだ!と言っちゃうような、無頼な精神が備わっているようです。


言い換えると、生き物としての勘であり、情緒や情動と言えるでしょう。



そもそも、人間自体、イデオロギーや情報などで進化してきたわけではありません。
昔々の全員がアフリカに住んでいた時代、誰が海を渡ることを考えつくでしょうか。

ある意味ギャンブルのような形で、海に出て、現在に至るまで世界中に散らばることに成功しました。



そこには情報などはなく、あるのは危険だけどワクワクするとゆう情動だけです。言い換えると、ビギナーズラックとも言えます。



とはいうものの、確かに今の時代、情報を得ることは大切です。しかし、人生を生きてく(旅する)上では、それ以上に情動や情緒が大切だということです。



人生を旅だとして、
旅の定義をひとときでも何かに巡り合う事だとすると

今の街や駅で、スマホの画面ばかり見ている人はせっかくの旅を無駄にしています。
スマホを見るのは、情報の中に所属していることです。所属してしまうと、周りが見えなくなる。
一方では、スマホから目を離して何かを感じることが無所属の時間です。


そして、無所属になることこそが情緒や情動に直面する瞬間だと思います。


こうなると、
情緒や情動を鍛えていきたいですね。
とブログを締めくくりたいところですが、


どうやら情緒や情動は、鍛えるとゆうことでも無いみたいです。


では、お金でも買えない情緒や情動をどのように鍛えるのか?


それは、僕が尊敬するソクラテスがどうやら答えを出しているようです。

ソクラテスは美や徳はどうすれば培えるか?と問われて、そうではない。人間は美しいと思う心、徳とする精神のあり方をもともと持って生まれてきていると答えた。



だそうです。笑



まぁ、遠慮気味な投稿でしたが、

今日の投稿をまとめると

情動や、情緒は鍛えるものじゃなく、気付いていくものとゆうことです。


読んでくれた人ありがとーございます。

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