宇宙の法則であるし、量子力学でもある。

(インプットvsアウトプット8/30日目)

最近、2回もサボったアウトプットです。
情けない。笑



とゆうことで、本日のアウトプット
テーマは
宇宙の法則と量子力学について。


とはいうものの、物理のアウトプットはまだまだ、できませんので笑


とゆうことで、宇宙と量子について軽い説明することから始めます。

まず、宇宙の法則。と聞くと
世の中の胡散臭い話トップ10に入ると思います。笑



ですが、実は論理的にかなり筋が通っている話だと思います。



とゆうのも、
ビッグバンから始まった宇宙。
ビッグバンが因子で現在が結果だという世界に僕達は住んでます。
つまり、そんな世界は、因果関係で成り立っている。というのが超ざっくりな宇宙の法則(原理)です。

(詳しくは引き寄せの法則など、かなり胡散臭度が増すので割愛。笑)


当然のことですが、
A君がB地点まで行ったという事実の中で、
A君は必ず1本の道を通ってB地点まで行ったことは論理的に間違いないでしょう。



しかし、ここで量子力学の登場です。


とてつもなく広い宇宙ですが、ビッグバン理論(因果を探る)でいくと、元は1つの目に見えない様な点。つまり、量子の世界から始まったとされています。



では、その量子の世界にも因果関係はあるのだと仮定して量子の世界を見てみます。



ところがどっこい、
量子の世界では因果が通用しません。笑


とゆうのは、
先ほど同様、
A君がB地点に行ったという事実を元に、その1本のルートを導くとしましょう。
量子力学の世界では、
A君がB地点まで全てのルートを通って行ったことになります。

100本のルートがあったとすると、100本通ったことになります。

全く理解不能です。笑




と、ここまで、宇宙の法則と量子力学の世界を超超要約しましたが、ここから何が言えるのか?



『この世は論理だけで通用しないんだな』と言えます。




今、僕が最も鍛えたい力でもある論理的思考(ロジカルシンキング)ですが、


論理ってなんだろうとたまに思います。


論理て数字的にゆうと確率であり、1の連鎖であるなと思います。


とゆうのは、絶対正しい事は1で正しくないことが0だということです。

絶対正しい論理について例をいうと、
AならばEという概念を論理の計算式として見てみましょう。
A=B=C=D=E、よってA=Eとなるのです。

つまり、A〜Eまですべてが同じ数字だと論理的に証明できたと言えます。


しかし、世の中そう上手く出来てない。
『風が吹けば桶屋が儲かる』というロジカルシンキングの代表作がありますが、
実際これは
『風が吹けば桶屋が儲かる確率が10兆分の1上がる』と言うのが正しいと思います。


はじめに風が吹けば桶屋が儲かるのロジックを書きます。

まず、風が吹けば埃が舞う→埃が舞うと目に入って目を患う人がでる→すると目が見えない人がでる→目が見えないため三味線をはじめる→三味線の需要が増える→三味線には猫の皮を使うため猫が少なくなる→するとネズミが増える→ネズミは桶をかじる→桶屋が儲かるというロジックです。



しかしこれがロジカルシンキングと言えるでしょうか?
数学的に順を追ってみましょう。
風が吹けば埃が舞う(90%)→埃が舞うと目を患う人(10%)→目が見えなくなる人(1%)→三味線をはじめる人(1%)→猫が減る(1%)→ネズミが増える(1%)→桶をかじる(1%)
よって、計算式は
0.9×0.1×0.01×0.01....みたいになります。
よって、
大雑把な計算で10兆分の1くらいは桶屋の売り上げが上がるでしょう。


しかし、こんなのロジックとは言えません。

確かにロジカルシンキングは持つべき考えです。


しかしそれだけだと、ビッグバン理論だけを鵜呑みにしてるのと同じです。


一方で
ロジカルシンキングのプロに『なぜ日本で腹が減った人が食べ物を泥棒したらダメか?』と聞いたらどうでしょう。


その話を聞いたプロの1人は、
なぜなら、日本は法治国家である。法を厳守しないといけない。物を取るというのは窃盗罪である。よって法律に背いたため処罰をくらわないといけない。となるでしょう。


しかし、その現場を見ていた人は、
彼は見たからに餓死寸前だ。確かに窃盗は法による罪である。しかし、彼がここで何も食わなければ死ぬだろう。人の命は法律よりも重い場合がある。よって今回は見逃そう。となるでしょう。



どちらもロジカルは通っていますよね?



このように論理的には説明できないことも世の中には存在します。

これは何もストーリーなどでなく、数学的にも証明されています。


不完全性定理て聞いたことありませんか?
オーストリアの数学者クルト・ゲーデルという人が生み出したものです。

不完全性定理とは大雑把にゆうと、
どんなに立派な公式があったとしても、それが正しいか正しくないかを論理的に判断できないことがある。

というものです。


要するに、完全無欠と思われる数学は、実は完全無欠とは言えないということです。





では、論理が通らないものはどうなるのか、


そこででてくるキーワードは情緒です。


情緒と言うのは、感じるフィーリングのようなもので、理論などありません。

美しいものを見て美しいと感じるのが論理的に説明がつかないことってよくありますよね?


でもその場で感じるもの。それが情緒です。


つまり、答えは論理的に1つであるときもあれば、たくさんあるときもある。これが世の中なのです。


僕達は何か道に迷った時どちらかだ!と選択をしがちですが、
実はそれはどちらでもあるということです。



論理論理も大事ですが、情緒や情動もものすごく大切なことです。
日本人はサムライの時代、今と違いこの情緒というものを大切にしていました。


だからこそ場を感じる人間がいて、
俳句や他宗教が存在する世界になりました。



『正という漢字は、一かい止まる』と書きます。

もしも論理が通っても、何か気分が乗らないときなどは、一ど止まって考えてみることが正しい選択でしょう。



広い視野、深い読み、どちらも存在する世界に生きてるのですから、どちらも大切にして生きるべきですね。






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