直すことができない
インプットvsアウトプット(6/30日目)
中秋の名月から1日が経って、
今日はスーパームーンです。
とゆうことは、今日も自分に浸ってしまう笑
なので、昨日に引き続き、
ロマンチストな事をアウトプットします。
本日のテーマは、直すことができないという少し哲学的な話をします。
さっき夜ご飯を食べてる時に、飲み物グラスを割ってしまいました。
割れた瞬間今日読んだ本を実体験した気分になりました。
今日読んだ本は、養老孟司大先生の死の壁という本です。
この本は、昔に比べて、現在の世の中は、死へ対する意識が低いといった内容です。
まぁコップだから死もくそもないですが、
人間って、壊れても直らないものを生み続けてるんだなーと感じました。
その割に、虫はキモいから殺すわ、植物は埋め立てるわで、
壊れたら絶対にもとどおりになんて治せない
むしろ、作り方すら知らないモノを次々に破壊しています。
確かにイノベーションの原理として、創造されるものがあれば、破壊されるものもあります。
ただそれが生き物の場合どーなるのでしょう?
埋め立て地の事を創造的破壊なんて決して言えません。
まぁ、環境保護団体ではないんで、こんな事を言うつもりはないのですが、笑
コンピューターや宇宙ロケットなど、すっごい計算されたものを作るくせに、虫、草木は自然の原理がないと作れないのが人間の不条理なんだなと思います。
一方で、人がそうなった背景にも理由があります。
それこそまさに、今日読んだ『死の壁』が言いたいことだなと。
死に対する意識が低くなったからなんだろなと笑
昨日のブログにも少し書きましたが、
平家物語というのは非常に良くできた作品です。
平家物語の内容は
ほとんどの登場人物(平清盛など)が死んでしまうのです。
今、もしもそんな作品が映画になったら、とても悲しい残酷な作品だと感じるでしょう。
ただ、よく考えてみると、昔は、死が身近なものだったんだと思います。
事実、鎌倉時代の日本では、火葬などせず、海岸に死体を埋めていたそうです。
つまり、死人を見る機会が多かった。
もしも今そんな光景を目にしたら、ぎゃーっと叫んで、警察にすぐ電話です。
しかし、昔の人はきっと、『俺もいずれああなるのだ』と感じた事でしょう。
GMOの社長である熊谷正寿さんが、
ある記事で
『一生を時間に換算すると、最終的にその1分1秒は命とイコールになる』
と言っていました。
これがまさに昔の人のほとんどが強く持っていた心理の一つでしょう。
昨日も言いましたが、
私達は間違いなく変化し続けていて、
その変化は致死率100パーセントに向かっています。
最近では、『自分さがし』などが、流行ってますが、自分なんて探さなくても、すぐ見つかるはずです。
なぜなら今、この瞬間こそが、自分の変化の集大成だからです。
さらには、人間にはどーしても避けられない情動というものがあります。
仮に、
『あー俺は何のために生きてるんだろ』などと考えてる人がいたとして、
その人の前にワニや貞子が急に現れたら
そんなこと考えてる余裕なんてみじんもなくなります。
脳の扁桃体から緊急信号がでて、
とにかく逃げる事にしか集中できなくなります。(ちなみに、人間は、死、セックス、大きいノイズなどが身の回りに存在すると、集中できないそうです。)
つまり、そんなもんなんです。
そんな間にも、
毎日毎分毎秒、間違いなく死に近づくのです。
いつ死ぬのかわからない世間だからこそ、
自分の生き方は大切になってきます。
夏目漱石は、『則天去私(そくてんきょし)』という四字熟語を作りました。
『小さな私にとらわれず、天に身を委ねて生きていく』という意味です。
とにかく毎日を一所懸命生きることだ。
と私は捉えています。
毎日一所懸命生きるというのは、
『毎日が目的であり手段でもあります。』
死んだら元どおりに直るなんてありえません。
昨日の自分にだって戻れません。
だったら突き進もうやないか
ということで、
今日のロマンチストなアウトプットは終わりです。笑
読んでくれてる人ありがとうございます。
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